●私の懐かしいアマ無線設備の紹介
●1966年開局当時の無線設備 (京都市中京区御前六角にて) |
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・組み立て式の送受信機(トリオ製)を 購入し会社の有給休暇を取って 3日間かけて組み立てた。 ・組み上がった送受信機を調整するため 会社の技術に持って行って調整して貰った。 ・そして、よく飛んでくれたがTVIが出て ご近所に迷惑をかけた。 対策に苦労した。NHKや近畿電波管理局 にもお世話になった。 ・アンテナは右の図を自作し交信した。 ・この無線機で7MHで初めて「CQ CQ」を出した。 JA3MTAと応答してくれた局が呼んできた。 マイク持つ手が震えて舞い上がり 何を言ったのか全く覚えていない。 そんなうぶな時代があった。 |
・自転車で千本丸太町の竹屋に 鯉のぼりの竹竿(7m)を買いに行った。 長いので持ち帰るのに大変だった。 (よくやったわぁ。交通渋滞もないのどかな時代) ・トップロードANTにするためアルミの洗面器を ひっくり返して、それに短縮コイルを付けて 完成させた。 ・一番苦労したのは寝かした7mの竹竿を 垂直に立てるのが大変だった。 根元が滑らないように固定しロープを4方から張って ゆっくり引っ張りながら起していった。 一人では出来ないのでローカル局 4人のの協力を得た。 当時は水平打ブレットアンテナが多かったので トップロードは打ち上げ角が低いので余りQSOできなかった。 |
●1968年当時の無線設備 |
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・7M/50M/144MのAM送受信の時代だった。 そして、私は50Mをメインバンドとして運用した。 カメラマニアでもあったJA3RET(村田さん) に撮影して頂いた貴重な写真です。 懐かしい。よく撮って頂いていたと感謝しています。 |
トップロードアンテナは効率が悪いのですぐに下ろした。 7Mは逆VDP ANT(手前)を上げて大活躍してくれた。 全国交信をAMモードで7Mを楽しんだ。 (SSBは、まだ開発されてなかった) 夢中になってアマ無線に没頭した。 50Mは4EL八木ANTで運用。 そのとき、ぽんぽん山の山火事で非常通信を 受信し右京消防署から表彰された。 ・当時144Mの運用局は少なかった。 |
●1975年当時の無線設備 (枚方市長尾現在の自宅) |
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・SSBの全盛の時代となり430Mと144Mが脚光を浴びた。 ・この頃、よくフォックスハンティングやハムのミーティングによく参加した。 |
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●1990年当時の無線設備 |
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・そして、1200Mの時代となりローカル局と毎日のようにQSOを楽しんだ。 ・1992年頃 2アマを取り14Mと21Mで海外交信をSSBとCWで楽しむ。 1996年(65才)で1アマを取得し和文CWを楽しんでいた。 ・HFでは、7Mと144Mで和文CWを楽しんだ。 |