●1967年に貴重な非常通信を体験

 

当時 京都市中京区六角の御前通りに住んでいた。

30才で アマ無線に熱中していた頃だった。

その時、めったとない貴重な非常通信を体験した。

アマ無線家界は、50MHZのAM全盛時代だった。

私は、ICOMのトランシーバーFD-AM2を使っていた。

(発信用水晶をいちいち取り替える時代だった。とても不便だったので便利なVFOを自作した。
下から3段目右端のFDAM2の上のバーニアダイアルが自作のVFOです。)

  
当時の私のアマ無線のアンテナ(左)無線設備(右)
この写真はJA3RET(滋賀県 村田省三さん)が撮影してくれた貴重な写真です。

●体験談

1967年 4/23 日曜日 午後1時過ぎ

大阪の無線局と交信しようとして

屋根の上の50MHZの
4エレメントのビームアンテナを

大阪方面へ ゆっくりと回転させていた。


その時、突然!
「非常、非常、非常」

切羽詰まった声が無線機から聞こえてきた。

初めは冗談で言っているのかと思った。


よく聞いてみると
必死で叫んでいる様子だった。
「JA3ARJ。こちらは、JA3MTA、JA3MTA。どうされましたか?」と

思わず応答した!

山火事です。
煙が山頂の方に登ってきて
私たちは煙にまかれそうです。
消防署への連絡を急いでお願いします」


深刻な現場情報を伝えてきた。


「これは 大変な事が起こった」と判断した。
状況が逼迫している。
私は交信を続けなくてはならないので
大声で家内を呼んだ。

「お父さんどうしたん?」と家内が聞いた。

状況を端的に伝えた。

当時 自宅には電話がなかった。
電話のある3軒隣の友達の家へ行って

「消防署
119へ電話して内容を通報してくれ」と頼んだ

家内は素早く動いてくれた。

京都の右京消防署から
地元の消防署へ緊急連絡がなされ
消防車も直ちに現場急行され
ハイカーと共に消火活動に当り鎮火した。

大事に至らず本当に良かったと安堵した。

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詳細は、
下記の新聞記事をご覧下さい

その時
非常通信を送信した人は
JA3ARJ
(大串竜生さん 当時 茨木工業高等学校の先生)
でした。

生徒達を連れてぽんぽん山(高槻市北部)に登り、

他の北摂の竜王山に登っている生徒達と

移動無線を楽しむ予定での出来事だった。

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あとで新聞で知った。

その日は、

京滋で
山火事が他に4件
も発生していた。


後日、私は

京都の右京消防署講堂

全職員が整列する前で

JA3ARJ(大串さん)とJA3MTA(棚橋)と二人が

人命救助で表彰された。

アマ無線が役にたって ほんとに良かったと実感した。

とても貴重な体験だった。